Kyrie, eleison

練習日記 2023年11月14日  Yuri

 

今年は、10月後半まで猛暑が続き、秋が短くなりました。それでも柿はあちこちでたわわに実り、紅葉の便りも聞こえてきます。短い秋を楽しみたいですね。でも、もうすぐ冬、どんな冬になるのでしょうか?

 

バラ・コンサートが好評のうちに終了してから、練習は本格的に、演奏会の曲に集中しています。今回は

(1) 三善晃の合唱曲集「うたの森」から、「それが涙だというのなら」

(2) ハイドンのMissa brevis St. Joannis de Deo(聖ヨハネのためのミサ・ブレヴィス)」の2曲を練習しました。

 

   「それが涙だというのなら」(銀色 夏生 作詞、三善 晃 作曲)

 

この曲は、一通り♪マママ♪で音取りを終わって、今週は言葉つけに入りました。ほんとうに短いけれど、詩も曲も細部まで工夫されていて、気楽に歌ってしまってはもったいない曲だと思います。

 

練習は、やわらかくフレーズに入ること、フレーズとフレーズを気持ちをつなげて歌うことなど、一言一言を大切にする丁寧な練習をし、初めのうちは、少し乱暴で、独りよがりのような歌い方だったのが、だいぶきれいになってきたような気がしました。それでも先生は「なぜハモらないんだろう?」と、悩ましいご様子でした。

 

A、Bを言葉をつけて復習した後、Cを丁寧に練習、 最後に通して歌いました。

 

 銀色夏生さんの詩は、「一人は賑やか」の茨木のり子さんと共通点があるようで、短いけれど深い意味を含んでいるような気がします。「涙」が「悲しみ」のせいならば、どうしてしっかり握りしめて離さないのだ、という問いかけから始まります。(後半はどう締めくくられるのでしょうか?)

 

銀色夏生さんは、W先生と同世代の女性詩人で随筆家、80年代にヒットした「そして僕は途方に暮れる」などを作詞されたそうです

 

   Kyrie: Missa brevis St. Joannis de Deo(聖ヨハネのためのミサ・ブレヴィス)」より

 

 この曲は、2007年に定期演奏会で歌っていますが、今回は10月に入ってから練習をはじめ、今回が4回目です。第1曲目の「Kirie」を丁寧に練習しました。

 

歌詞は最後まで、Kirie, eleison♪の繰り返しです。ミサ曲には必ず出てくるこの言葉は、一般的には「主よ、憐れみたまえ」と訳されていますが、ラテン語で'eleison 'は、本来「憐れめ」という命令形だそうです。W先生のお話では、キリスト教などの西欧の宗教では、神はたった一人、自分と一対一で向き合う存在なので、この強い表現になるそうです。

 

’八百万(やおよろず)の神’を信仰する伝統がある日本とは、感覚が違うのでしょうか。長年ミサ曲を何度も歌ってきたのですが、現在のガザをめぐる争いなどの底にある宗教の違いや、宗教に対する思いの強さなどには、私たちにはわかりにくいものがあるように感じます。(どちらが正しいかということではありませんが・・・)

 

いずれにしろ、このハイドンの「Kirie」には、作曲家や、ミサ曲を歌い続けてきた人々の、神に救いを求める深い気持ちが感じられます。その想いを感じながら歌えたらいいなと思います。

 

Kirie の最後まで、歌詞をつけて歌いました。(といっても♪Kirie, eleison♪だけですけれど・・・)ミサ曲らしい深い発声をすること、KyrieやChriosteなどに出てくる子音の連続、などが日本語的な発音にならないこと、など、課題はたくさんあります。これから、一所懸命に練習しなければ・・・。

 

最後の28小節からは、「アルトの聞かせどころ」とのこと、「最近のアルトは、どういうわけか、みんなの声が一つになって、清らかに聞こえる」とお褒めの言葉をいただきました。(めったに褒められない地味なアルトですので、嬉しかったですね。)

 

来週も、真剣で、しかも楽しい練習が続くと思います。皆さま、気候の変動にお気をつけてお過ごしください。