このコンサートでは、「心に刺さる歌」や「深く考えさせられる歌」に出会いました。
「若竹の会」は、混声合唱団コールドリームの指揮者、若林浩先生の声楽の師である、竹沢嘉明先生のお弟子さんたちの発表会です。8月9日に、東京都中野区の「野方」にある「区民ホール」で開催されました。
若林先生は、高校生の時に初めて竹沢先生のご指導を受けたと伺った記憶があります。それから今日まで ずっと師弟のご関係が続いて来られたということに驚くとともに,敬意を抱かずにはいられません。
竹沢嘉明先生は、オペラや音楽教育でご活躍なさっていらっしゃる方、柔らかな、深い響きのバリトンが素敵です。3人の女声の方も、美しい響きのソロを、個性豊かに歌ってくださいました。若林先生は、会場の隅々まで共鳴するような朗々としたお声を聴かせてくださいました。
今年のプログラムを拝見しても、会員の皆様がより高い目標を目指して熱心に研修に励んでいらっしゃることを感じます。
第1部は「わたしたちの歌曲」は、5人のメンバーがそれぞれお好きな曲を3曲ずつ発表されました。
竹沢先生は、私たちも歌ったことのある、信時清作曲の「沙羅」、W先生は、R.シュトラウスの作品を3曲、原語で歌われました。
第2部は、「団伊玖磨生誕100年記念」として、皆様が團氏の歌集の中から3曲ずつ歌われました。
團伊玖磨氏については、どなたもご存じだと思うのですが、大正時代の終わりに、当時の日本にも存在した貴族(華族:男爵)のおうちに生まれ、太平洋戦争中のご苦労の後、戦後の日本の音楽界に大きな足跡を残された方ですね。
あまりに偉大で、「知ってる歌、歌ってみて」と言われると困ってしまいます。今回の15曲の中で、私が子供の頃に口ずさんだ曲は、♪あの子が行くよ 見たよな あの子♪で始まる「秋の野」という1曲だけでした。
その團伊玖磨氏の曲を、若竹の会の5人の方々が、心を込めて歌ってくださいました。
終了後に、誰からともなく、気になる曲のことが話題になりました。
それは、竹沢先生が最後に歌われた「彼岸花」、そして若林先生が最後に歌われた「追悼歌」の2曲でした。
「彼岸花」は、山田耕作作曲の歌もありますが、こちらは、次のようなドッキとするような歌詞で始まります
♪憎い男の心臓を
針で突かうとした女♪」
帰宅後、検索してみましたが、どうやら、苦しい環境に置かれた若い女性が、結ばれる見込みのない男性に恋して、もどかしくてならない気持ちを歌った歌のようです。竹沢先生が上品に歌われると、かえって主人公の強い気持ちが浮かび上がってくるようでした。
最後に、若林先生の「追悼歌」です。この歌を検索してみて驚きました。(YouTubeの歌を聴いてメモした歌詞ですが、ご紹介します)(先生のお許しをいただいておりませんがご容赦ください。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「追悼歌」 (詩:北山冬一郎 曲:團伊玖磨)
(太平洋戦争下 南の島で 戦友を失い
自分だけが生きて帰ってきてしまったことの
痛感の思い 鎮魂 追悼の詩である)
兵士たちに 明日はなかった
十字架は祈りであり のぞみであった
死は 明るく匂い
祖国は 海をはるかに千里
(エメラルドグリーンの美しい海
青空と 悲惨な死との対比}
草とともに 君は伏して
とわに 動かなかった
戦場よ さらば
雲の上 たましいは はてしなく のぼった
陽は そののちも
かぎりない うつくしさであった
(激務の間も 平和になった今も
南国の海は 変わりなく 限りない美しさである)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
普段の私たちの団の練習では、ジョークがお上手で、楽しくご指導くださる先生ですが、この日は、まったく違った雰囲気、戦争と命の尊さを感じさせてくださり、まさに‘襟を正してお聴きしなければ・・・’と感じました。
この日は8月9日、79年前に広島に続いて長崎に原爆が落とされ、多くの方たちのたましいが、
♪雲の上・・・ はてしなく のぼった♪ その日だったのですね。
團伊玖磨氏が、このような曲を作曲されていたことに驚き、團氏の音楽の豊かさや深さの一端に触れさせていたたこと、そして、これらの曲を選ばれた若竹の会の皆様の「心の芯」のようなものを感じさせていただいたこと、ほんとうにありがとうございました。
もっともっとたくさんの方に聴いていただきたいコンサートでした。
若竹の会の皆様のますますのご研鑽と、次回のコンサートを楽しみしております。
2024年8月15日 Yuri
コメントをお書きください